それは私だったかもしれない〜That could be me〜
自己責任という言葉を聞くことが多くなった昨今。
世の中は自己責任
プロ登山家の栗城史多さんが21日、エベレスト下山中に死亡したことがわかった。
35歳だった。栗城さんは2009年からエベレストの挑戦を試みるも、ことごとく失敗。
2012年には下山途中に両手、両脚、鼻に重度の凍傷を負い、両手の指9本の大部分を失った。それでも情熱を持ち続け、今回8度目の挑戦となったわけだが…。
栗城史多氏に関するツイートがたくさん流れてくるんだけどもうお腹いっぱいだしこういう時くらい故人の冥福を祈りませんかね…。どんな立場でも山に向かう人たちは皆自己責任でしょう…。
— しおりさん (@Siori1988) 2018年5月22日
山の世界は、すべて自己責任。
— 狩野 (@kinglifeguide) 2018年6月7日
プロ登山家だけでなく、そのスポンサーも自己責任だ。
阿部氏は、プロ故に認知機能が歪んでいる。
「美談」で片付けられないわだかまり:登山家・栗城史多さんの死の意味を問う 冒険家の阿部雅龍さん (4/4) - ITmedia ビジネスオンライン https://t.co/peFCq2jRC9
もちろん自己責任だという気持ちも分からなくはない。
けどこれが登山ではなく、突然のリストラでホームレスになったり、いきなり病気になったり、不慮の事故でけがしたり…。
「自己責任でしょ」と言っていたことが回り回って全て自分に帰ってくるかもしれない
そう考えたことありませんか。
「自己責任」で終わってしまう世界は好きではないです。
先週この動画を見て心が震えた。
ビル・ゲイツとメリンダ・ゲイツ: 富を贈ることが最高の喜び | TED Talk
《動画の後半部分の一部です》
On another trip, to South Los Angeles, I was talking to a group of high school students from a tough neighborhood when one young woman said to me: “Do you ever feel like we are just somebody else’s kids whose parents shirked their responsibilities, that we’re all just leftovers?”
また違う機会に、南ロサンゼルスに行ったときに、問題を抱える地域の高校生グループをお話していたときに、一人の若い女性が私に言ったんです。「あなたは今までこう感じた事ありますか?・・自分達は、両親にも子育て放棄された、ただの社会の残り物なんだって」
These women made my heart break – and still do. And the empathy intensifies if I admit to myself: “That could be me.”
この女性達の言葉に私の心は傷つきました。そして今でも。「それはもしかしたら私だったかもしれない」と思うと、更に一層共感する気持ちが強くなりました。
When I talk with the mothers I meet during my travels, I see that there is no difference at all in what we want for our children. The only difference is our ability to give it to them.
旅であった母親達とお話して、私達が子供にしてあげたい気持ちに何ら違いは無いのだということが分かりました。子供にしてあげられる力があるか、という違いだけです。
この動画ではメリンダ・ゲイツさんは「That could be me」を口癖のように言っている。「それは私だったかもしれない」と。
もちろん、自己責任の部分もあることは間違いない。ただ私たちは産まれてくる親を決めることはできないし、国も環境も決められはしない。もし、私たちが貧困の国に生まれていたら…。
連日、悲しくなるニュースが溢れて出てくる。もはや多すぎで麻痺している。もし、東京駅や新宿駅で倒れている人がいたら助かるだろうか。おそらくだけど、人が多いので誰かが助けてくれるだろうと思ってしまわないだろうか。
私はこの動画から学んだ本質は相手の立場になって考えてみるということでした。
「自分にしてもらいたいことを望むより人にもそのようにしなさい」という言葉を大切にしています。
空は曇っていますが、気持ちの良い朝を迎えました
— kanaya setsuko (@kanayasetsuko) 2017年9月26日
人が人らしく生きるとは「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」。生まれた時から、我が家で行われた日々の祈り。世界のまずしき人々が、今日1日食べることができますように。
人間って
良いところより、悪いことを見る性質
自分と違うことを見る性質
なんです。
なので、良いところを見るにはトレーニングが必要なのかもしれません。
愛は感情ではなく決断。愛するという決断。
良いところを見ようとする意思(決断)は期待に繋がります。
これを読んでいるあなたは期待を持って仲間・親・彼氏(夫)彼女(妻)を見ていますか。
その期待が違いを受け入れ、乗り越えていく最大の秘訣なのではないかと思います。
そう考えるとKREISの仲間達の素晴らしい個性は最強です。感謝なんです。
違うことは素晴らしい。
この一人ひとりの個性の違いがKREISの祝福なんです。
社会不適合者ってなんやねん。
— 川口竜太/KawaguchiRyota (@_let_it_out) 2018年5月8日
毎年自殺者が3万人いる社会に適合する方がどうかと思うわ。
違いは祝福だよ。
今、自分の知り合いが辛かったり、悲しかったり、苦しかったりしていたら手を差し伸べてみませんか。だってそれは私だったかもしれません。